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未来をつくるキーマンたちへのインタビュー vol.4

お知らせ
Sep.29.2025

SNIP STYLE 2021年10月号掲載 取材・掲載協力 株式会社コワパリジャポン

SHOWA → HEISEI → REIWA
未来ある美容業界、その先へ!

TONI&GUYロンドンとアジアの架け橋として活躍中の雑賀英敏さんと蒲生会長との出会いは、雑賀さんが10代の頃。父である故・雑賀健治さんの跡を継ぎ、そして新たな世界を切り拓く姿に、蒲生会長がエールを贈ります。

信頼を1つ1つ積み重ねて
信念を持って正直に生きていけば
素敵な未来につながる

雑賀英敏

蒲生 随分前のことですが、初めて雑賀さんにお会いしたのは、いつ頃でしたかね?

雑賀 多分、僕が中学生か高校生の頃に、父に連れられて何かのイベントに行った時だと思います。

蒲生 その頃はもう、将来は美容師になろうと決めていたのですか?

雑賀 そうですね。高校時代に美容を通信で学び、美容学校と高校を同時に卒業してロンドンに行きました。

蒲生  ロンドンでの修業はどのような感じでしたか?

雑賀 最初の11カ月はアカデミーに通い、土曜日はサロンでバイトをしていました。アカデミーを出て入社すると飛び級扱いとなり、3年生スタートになるので入社して半年くらいでデビューできたのですが、その頃は英語もまだそれほど話せなくて、なかなか大変でしたね。

蒲生 お父様もさぞかし心配されたでしょうね。

雑賀 そうですね。今思うと、大事なタイミングに合わせて電話をかけてくれていました。僕が逃げ道をつくらないようにしていたのかもしれません(笑)。

蒲生 スタイリストデビューしてからは順調だったのですか?

雑賀 当時のTONI&GUYは1年間に100店舗オープンするくらいの勢いがあり、新規のお客様がとてもたくさん来た時代でしたから、僕もその波に乗って売上を伸ばし、グループ全体で売上NO.1になったこともありました。なるべくハイライトを全員に施術するなどシンプルなことなのですが、それを徹底したことと、あとは日本人の細やかな部分が功を奏したのかもしれません。

蒲生 それは素晴らしいですね。日本人だからということで苦労したことはなかったのですか?

雑賀 上の世代の方々は優しいのですが、近い世代からはなかなか受け入れてもらえませんでした。でも売上を上げ続けると仲間に入れてくれるんです。同世代の仲間ができるのには時間がかかりましたが、当時の仲間は今でも親友です。それとお客様からも差別されることはありました。「アジア人はイヤだ!」とあからさまに言われたり。でも仕方なく担当したら、その人が再来店してくれて、その時、”勝った!”と思いましたね(笑)。

蒲生 当時はまだそういう風潮があったんですね。サロンワークの他に、クリエイション活動もされていたんですよね。

雑賀 はい。先輩のヘルプから始まってイベントに一緒に行ったり、ファッションウィークに携わったり、様々なチャンスをいただきました。それによって”枠を取っ払われた”感じになり、クリエイションとは何でもアリなんだ!という解放的な気分になりました。

蒲生 雑賀さんの作品がイメージオブザイヤー(TONI&GUYの全世界のスタイリストの中でNO.1の作品)になったこともあるそうですね。さらに、アカデミーのクリエイティブ講師もされていたと。

雑賀 はい。英語で学ぶのは大変でしたが、講師になれて本当によかったと思っています(その後アカデミーマネージャーとしてTONI&GUYの教育の中心で活躍)。それが96年頃のことで、日本では父が原宿にアカデミーを作った頃です。

蒲生 お父様は何かアドバイスなどおっしゃっていましたか?

雑賀 あまり電話をすることはありませんでしたが「ロンドンで仲間を見つけて帰って来い」と言っていました。現在の弊社の取締役はロンドン時代から一緒の人たち。僕の駆け出しの頃、本当にお金がなかった頃を知っている人が僕を支えてくれています。それは父の教えです。

蒲生 とてもいい関係を築けているのですね。偉大な方の息子さんだからということではなく、雑賀健治さんの想いをつないでいってほしいです。帰国してTONI&GUY JAPANの経営者となられてから10年以上経ちましたが、日本とイギリスの美容室経営のあり方を比較して、どう感じていますか?

雑賀 日本のマネージメント力は世界でも屈指のレベルかと。集客などすべてのプロセスが細分化されています。海外だとキャリアを積むと高い単価を取るのが当たり前なので、マネージメントが発展しないんです。反対に1時間あたりの生産性をどう考えるかというのはイギリスのほうが進んでいます。日本はそこにあいまいな部分がまだあるのかなと。

蒲生 なるほど。今はコロナ禍となり、経営も先行きが不透明ですよね。

雑賀 そうですね。10年間は引き継ぎ期間だったと思っています。特に最初の7〜8年は父が遺した宿題と向き合い、それが終わってようやく僕のやりたいことができるタイミングになってきたところでコロナ禍となり…。でも、僕はどうせダメなら攻め込んだ結果、ダメなほうがいいと思っているので、これだと思うことがあれば行動するべきだと思っています。

蒲生 コロナは誰のせいでもないですしね。人生にはそういう未曽有の出来事が起こるもの。社会は思うようにならないのが普通だと思えばいいんですよ。どうせならチャレンジしてほしいですね。

雑賀 はい。僕が帰国してより強く感じたのは「人の縁」です。長く続いている企業は、先人が大事につないできた縁を継いでいる。10年かかってそれがわかってきました。

蒲生 様々な歴史があって今日の自分につながっています。人と人との輪が大事なんです。

雑賀 なるほど。ちなみに蒲生会長は60年間、美容業界で仕事をされてきて、ずっと続いている美容室に共通することは何だと思われていますか?

蒲生 そうですね…、「こうすれば生き残れる」という方程式はありませんが、美容師が定着できるような工夫をすることではないでしょうか。人を育てられる美容室はなくならないのです。長く続けるには1人ではできません。人への愛情を忘れず、良いパートナーを持ち、この仕事に対する情熱を持ち続けることが大事。自分が持っているものはなんでも人に公開して教えていってほしいです。

雑賀 同じことをトニー(TONI&GUY創設者のうちの1人)も言っていました。「教えても同じものにはならず、違うものになるのだから」と。


蒲生 では最後に、若い美容師さんへメッセージをお願いします。

雑賀 美容業界は早い時期から信頼を重ねていけば、長く仕事を続けられる、とてもいい業界だなと思います。色々な苦労もありますが、楽しいことのほうが多いと思うんです。信頼を1つ1つ積み重ねていけば、引退もなく、生涯働けます。若い時に露骨なことをすると後でそれが尾を引きます。信念を持って正直に生きていれば、今は辛くても必ず素敵な未来につながると思っています。

蒲生 その通りですね。雑賀さんの益々の活躍を楽しみにしています。

雑賀 今日はありがとうございました。

生き残るための方程式はない。
長く続く美容室とは
人を育てられる美容室

蒲生 茂

雑賀英敏(さいが・ひでとし)


TONI&GUY JAPAN 代表取締役社長。1996年渡英、TONI&GUY UKに入社。ロンドンでTONI&GUY UKアカデミーマネージャーを務める。2010年TONI&GUY JAPANに移籍。現在、インターナショナルアーティスティックディレクターの一員として世界各国でショー・セミナーやコレクションバックステージを手がける。

Photo / Sugano Yukie

取材・掲載協力

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