SNIP STYLE 2021年11月号掲載 取材・掲載協力 株式会社コワパリジャポン
SHOWA → HEISEI → REIWA
未来ある美容業界、その先へ!
HONDA MASAさんは海外でヘア&メイクアップアーティストして活躍後に帰国し、自らのサロンをオープン。父である本田誠一さん(HONDA PREMIER HAIR代表)の背中を見て育ったMASAさんの海外での苦い思い出や、これからの美容業界の在り方についての考えを蒲生会長が真摯に受け止め話を展開します。
例え悲しんでいる時でも
そこから見えてくる新しい視点は
貴重なエッセンス
HONDA MASA
MASA こうして2人で対談させていただくのは初めてなのでうれしいです。
蒲生 お父様は常に理美容業界のトップを走っておられ、とても紳士的な方。MASAさんのことも前々からいい息子さんだなと思っていましたよ。ところで、専門学校卒業後、最初はフランスで修行されたんですよね?
MASA はい。祖父(本田三吉氏)も父も元々理容師で、父がユニセックスの世界に挑んだ経緯がありましたので、僕もまず理容から学びました。子どもの頃の僕はお坊ちゃん育ちで弱虫だったので、海外に行く考えは全くなかったのですが「強くなりたい、変わりたい」と思い、パリに留学することを決心しました。
蒲生 なるほど。まずはパリを経てそれからロンドンで修業されたんですね。
MASA そうです。ロンドンではヴィダル・サスーンで勉強しました。そこではatelier KAZUのテルくんと一緒でした。
蒲生 海外で勉強するのも働くのも苦労があったのではないですか?
MASA その頃は知識も技術も語学力もまだまだだったので、仕事も思うようにできずサロンを5店舗くらい辞めさせられました。仕方なくアシスタント業務に専念すると、他のアシスタントから「あのアジア人が私たちの仕事を奪う」と言われて。海外に出てから5〜6年が経ち、自分を見失いかけていた頃にピーター・グレイ氏※と出会い、この人についていこう!命を捧げよう!と決心したんです。

蒲生 お父様もさぞかし心配されていたでしょうね。
MASA 「どうなってる?」と電話がかかってきたりしましたね。僕も中途半端の状態では帰れなかったので、死ぬ気でピーターについていきました。
蒲生 ピーターさんの指導は厳しかったですか?
MASA 彼は僕が3代目だからこその大変さがあることや、日本のマーケットの厳しさをよく理解していたので、本気で僕にぶつかってくれました。10分ごとにキレられ、目の前10cmの距離で叱られたり…。それで僕が弱音を吐くようでは日本で成功しないと彼は考えていたんだと思います。僕は必死で食らいつき、しだいにショーの構成を任せられたり、デザイン提案をしたりしていくうちに、アーティストとして活動できるようになりました。当時は怒られすぎて苦痛に感じたことも多かったのですが、その後、彼は僕をアヴェダの方に紹介してくれたり、日本で一緒にヘアショーをやってくれたりしました。
蒲生 海外でようやくアーティストとしての基盤ができたのですね。
MASA 海外で活躍できたのは、日本人の繊細な感覚や空気を読む力があったからだと思います。技術で評価されたことはあまりなかったかもしれませんが(笑)、ブラシの当て方ひとつにしても、痛くないようにするなどのこだわりを持っていたことが評価され、いろんな仕事をいただくきっかけになりました。まさにここから、というところではありましたが、このエネルギーを日本で生かしたいと強く思い、帰国したんです。
蒲生 帰国後はMASAさんのサロンをオープンされましたね。
MASA 『HONDA・AVEDA hair&spa』をオープンし、HONDA PREMIER WORKSの代表になりました。父も自分と一緒にやるより違うフィールドでやったほうがお互いに力を発揮できると考えたのだと思います。

蒲生 前号でご登場いただいたヒデさん(TONI&GUY JAPAN代表の雑賀英敏氏)ともロンドンで一緒だったのですか?
MASA はい。彼はその時すでにTONI&GUYの先生で、最初は「トニガイ派」のヒデくんと「サスーン派」のテルくんと僕という感じだったのですが(笑)、しだいに仲良くなりました。
蒲生 ヒデさんも死ぬ気でがんばった時代があったと言っていましたが、そういうのがないとひとつの成功には至らない。MASAさんのお父様もずっと戦ってきて、そのDNAはちゃんと引き継がれているのですね。何にしても逃げ出さないのは大事なことです。
MASA 父の仕草や振舞い、人への気遣いは小さい時から見ているので、気づいたら父に似てきたようです。
蒲生 親子だからDNAは同じでも個性は別です。お父様はお父様の人生を生きているから、親に100%従うのではなく、時にぶつかることもあると思いますが、互いに理解し合うことが大切ですね。MASAさんは60年を超える歴史があるお店を、これからどうしていきたいと考えているのですか?
MASA 週4日ほどサロンに立っているのですが、生産性や売上、教育など現場を考えることに追われがちです。でもその視点だけではなくグローバルに、多角的に世の中を見ていきたいと思っています。環境問題や格差社会、少子化問題など社会には様々な問題がある中で、僕たちの技術やセンスで社会を良くするのは難しいかもしれませんが、多様な職業の方(お客様)とつながり、その方のデザインを考えたりエネルギーを与えたりすることで、間接的に社会に貢献できるのではないかと。社会問題にどう自分たちが取り組んでいくべきかを考えることは絶対に必要なことだと思っています。
蒲生 人をキレイにすることそのものが社会貢献なのだと思いますよ。たくさんの雇用を生んでいることもそうです。
MASA なるほど、そうですね。僕は人とのつながりで道が開けていくと考えています。たとえば僕は蒲生会長と出会い、蒲生会長がいつも歴史の話をしてくださるのを聞いて、ファッションやヘアを歴史から紐解いて作品を作ることが僕のスタンダードになりました。僕たちは日本の文化や歴史の延長線上にいるのだと。かなり蒲生会長の影響を受けています(笑)。今の若い子はオンラインで簡単に人とつながっていて、それも新しい未来とのつながり方だとは思いますが、現実の世界で偶発的に起こることが僕にとってもっとも楽しいことなんです。恋愛と同じですね。偶然で始まる恋のほうが計算して出会うより楽しいですよね(笑)。これは教育では教えられませんが、人とのつながりによって未来が開けていくというマインドは伝えていきたいと思っています。
蒲生 サロンの内側だけでは、なかなか出てこなそうな発想ですね。
MASA 僕は元々サロンの外側でたくさんの経験をさせていただきました。海外で差別されて悲しんでいた時も、そこから見えてくる新しい視点こそ貴重なエッセンスだと考えていました。マイナスのことにあえてトライして、攻めていく姿勢が大事だと思っています。これまでは人を管理して課題を与えて練習させる教育でしたが、1人1人の良さを引き出し、才能を開花させるような教育を実現したいです。
蒲生 MASAさんらしい新しい視点ですね。期待しています。
MASA はい!今日はありがとうございました。
※ピーター・グレイ…元ヴィダル・サスーンのエデュケーター。世界のコレクションで活躍するアーティスト。
苦労から逃げ出さないことが大切。
美容師にとって、人をキレイにすること
そのものが社会貢献
蒲生茂


HONDA MASA(ほんだ・まさ)
HONDA PREMIER WORKS代表取締役。HONDA AVEDA DIRECTOR。1999年渡仏。美容師として勤務後、渡英しヴィダル・サスーンに入学。ヘアスタイリストとして経験を積む。2005年より世界のファッションシーンの第一線で活躍するPeter Gray氏に師事。2009年拠点をNYに移しメゾンブランドのコレクション、広告などヘアメイクアップアーティストとして活躍。2011年帰国後、HONDA PREMIER WORKSの代表を務め、「HONDA・AVEDA hair&spa」をオープン。2013年よりAVEDA JAPANのクリエイティブディレクターに就任。
Photo / Sugano Yukie
取材・掲載協力




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