SNIP STYLE 2024年8月号掲載 取材・掲載協力 株式会社コワパリジャポン
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未来ある美容業界、その先へ!
来年40周年を迎えるMINX。サロンの成長と共に美容師人生を歩んできた岡村享央さんは、高橋マサトモさんからその意志を継ぎ、代表取締役社長を務めている。そのMINXを創業当初からサポートしてきたのが蒲生会長。ふたりの対談からは、まるで親と子のような絆と温かさが感じられた。
お客様の文化になる。
女性が生き生きと過ごすために
なくてはならない美容室、美容師でありたい
岡村享央
蒲生 岡村さんとはだいぶ長い付き合いになりますね。
岡村 はい。僕がまだアシスタント2年目くらいだったと思いますが、渋谷のライブハウス・オンエア(現・Spotify O-EAST)でMINXのヘアショーをやったときに蒲生会長と初めてお会いしました。
蒲生 ガモウが主催したヘアショーで初めてのオンエア、初めてのオールスタンディングでした。演出家も入れて、舞台装置も専門家にお願いして。業界でも初めてだったんじゃないかな。
岡村 すごい人と熱気でしたよね。
蒲生 事故が起こらないか心配したほど盛況で、ハサミを入れるときのポーズもかっこよかったですね。
岡村 ありましたね、MINXポーズ。あの革命的なヘアショーからお付き合いがはじまったんですが、中でも鮮明に覚えているのが僕が40歳になったときに会長にいただいた言葉です。コンテスト後のパーティで40代の過ごし方をお伺いしたところ“40歳、やっと成人だね。世に出て20年経って、やっと独り立ちできるね”とおっしゃられて、自分はここからなんだと腹が据わったというか、先を見据えることができました。

蒲生 “四十にして惑わず”という孔子の言葉があるように、40歳から真の意味で大人の人生がはじまる。40代、50代は指導者になるべき世代ですよね。
岡村 本当にその通りだと思います。年齢を重ねることによって考え方も変化し、同じ問題が起きても捉え方が違うなと実感しています。会長の言葉にはいつも感銘を受けていますが、高橋(マサトモさん・MINX会長)もMINXの成長とともに会長に相談していたと聞いています。
蒲生 マサトモさんも三枝子さん(故 鈴木三枝子さん・高橋マサトモさんの奥様)も東京のお父さんのように僕を慕って相談してくれましたね。
岡村 高橋は27歳という若さで東京に出店したので、会長が頼りだったんですね。出店した当時、会長が“まずはスタッフを50名にすること。それを目標に頑張りなさい”とおっしゃったそうですね。実際50名になると、まわりからの評価も変わってきたと言っていました。
蒲生 遠くから見る山とある程度登ってから見える景色は違います。美容室経営ではスタッフが50名になると自分で引っ張っていくだけでは立ち行かなくなる。企業になりますから。岡村さんはMINXの成長とともに過ごされてきたんですね。
岡村 MINX歴33年になります(笑)。
蒲生 美容師を目指したきっかけはどのようなことだったのですか?
岡村 母が美容師で、僕はマジメに勉強するタイプでもなかったので、おしゃれだな、おもしろそうだなと思って美容師になりました。最初は地元・高知のサロンで働いていました。

蒲生 MINXに入ったのは?
岡村 高知のお店に高橋が臨店講習に来たんです。それで仕事ぶりを見て、衝撃を受けました。当時MINXのニューヘアでバウヘアというタイトロープ編みのパーマスタイルがあったんですが、それが見たこともない斬新なスタイルでした。いずれ東京に行きたいという思いもあったので、MINXの面接を受けました。
蒲生 そういう経緯があったんですね。
岡村 いざ面接がはじまったら3分ほどで終わってしまって、“いつから来られる?”と言われ、本当に受かったのかなって実感のないまま終わってしまいました。MINXの成長とともにいろんな経験をさせていただいて、とても感謝しています。
蒲生 辛かった経験はありますか?
岡村 正直いっぱいありますが、1番キツかったのは青山店をオープンした頃でした。MINXが青山に初出店するので注目もされていたなか、本当に最初はお客様がいなくて……。1日6、7人しか来なかった日もあります。夜10時までの営業なのにお客様がいないから9時に終わって、そこからみんなでミーティングして…。必死でやってやっとお客様でいっぱいにできて、成長を実感しました。その経験があったから、もうどこに出しても大丈夫、と思えるようになったのだと思います。驕っているわけではないのですが。
蒲生 そうだったのですね。美容師として大切にしていることは何ですか?
岡村 1番はカットですかね。カットが上手くなりたくて東京に出てきたので、ずっとこだわってきました。高橋に教わったベーシックカットがとてもわかりやすくて、自分の中で理論的に凄くクリアになりましたね。そして、30代前半の頃には、業界の中でより質の高いデザインが求められるカットの変革期が訪れました。それまでの感覚的な削ぎからベースカットをしっかり切って必要最小限の削ぎでデザインすることで、再現性や持ちの良さを高めることができました。自分で試行錯誤しながら、ベースカットを体系化したのでそれに費やした時間は膨大なものでした。おかげさまで僕も4冊のカット単行本を出版させていただき、高橋から受け継いで自分のつくり上げたものがMINXの基礎になっています。
蒲生 美容師は究極的には技術ですよね。カットは昔からありますが、ヘアスタイルを形づくるための補助的作業に過ぎなかった。それをヴィダル・サスーンがカットで形づくるということを確立し、そのうえ展開図もつくって誰でも習えるようにした。
岡村 理論化したんですよね。画期的なことです。
蒲生 JHAの審査もされていますよね。
岡村 24、5歳のときに作品撮りを始め、26歳で新人賞、32歳で準グランプリをいただきました。そして高橋がJHAの審査員を引退した翌年から審査をさせていただいています。JHAは美容師が目指す1番大きな舞台で、そこで評価されることが真のステイタスだと思っています。高橋や鈴木をはじめ多くのスタッフが賞をいただいてきたので、MINXとして今後もJHAを目指していきたい。そのためにチャレンジできる環境をつくることが僕の役割だと思っています。
蒲生 場をつくるのはトップの務めですね。社長に就任されたのはいつですか?
岡村 高橋がちょうど還暦を迎える年で、僕が47歳のときです。高橋が会長、僕が社長に就任しました。カットなどの技術面、美容師としてのあり方、企業の考え方など1からすべて教わりました。MINXの企業理念である“お客様の文化になる”ということを引き継ぎ、一貫しています。
蒲生 美容という仕事は文化ですよね。髪が伸びたから切る、お腹が空いたからご飯を食べる、寒いから服を着るというのは文化ではなく本能。そうではなく人間というのは文化を広げてこそ生きる価値が深まると思います。
岡村 本当にその通りだと思います。
蒲生 MINXさんは理念だけではなく経営に対する信念をしっかり持ってやられていて、数年前には終身雇用を堂々と打ち出しましたね。
岡村 スタッフを終身雇用し、生涯美容師であることを応援する。そしてお客様を永久顧客にする、ということを掲げています。女性が毎日を楽しく生き生きと過ごすためになくてはならない美容室、美容師になろうといつも言っています。
蒲生 女性たちも結婚して出産し、復帰して仕事を続けていける時代。60代は60代なりの顧客を掴めばいいですからね。
岡村 マーケットがありますからね。
蒲生 MINXさんは思い切りよく、うまく切り替えて経営されている。鳥の目、虫の目、魚の目という僕が話したことをマサトモさんも気に入って使ってくれていますが、魚の目を持って潮目を見る、というのが経営者にとって重要です。
岡村 時流を読む、ということですよね。3つの目の話は、高橋からよく聞いていました。MINXも来年で40周年を迎えます。
蒲生 40年。岡村さんという後継者もでき、企業としてこれから本当の大人になっていく時期ですね。
岡村 はい! MINX40年という節目を前に、また会長とお話できて勉強になりました。精進します。
人間は、文化を広げてこそ生きる価値がある。
それをMINXは体現している
蒲生 茂


岡村享央(おかむらたかひさ)
MINXディレクター/代表取締役社長。1969年生まれ。高知県内の1店舗を経て1991年にMINXへ入社。2016年に代表取締役社長に就任。サロンワークを第一線で続けながら、クリエイティブでも高く評価されている。JHAでは1995年に優秀新人賞、2001年に準グランプリを受賞。JHAプロフェッショナル審査員。サロンワークの他、セミナー講師、ヘアショー出演、コンテスト審査員など多方面で活躍中。
Photo / 宮里拓郎
取材・掲載協力



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