SNIP STYLE 2024年10月号掲載 取材・掲載協力 株式会社コワパリジャポン
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未来ある美容業界、その先へ!
昨年出版したアートブック『ニュー丁髷』が東京現代美術館で開催された「TOKYO ART BOOK FAIR 2023」に出展されるなど、美容師アーティストとして目覚ましい活躍を続けるUshiさん。北海道奥尻島出身で都内一流サロンに入社。その後世界一周の旅を経てサロンをオープンしたというワールドワイドな経歴で、目指すは後世に残るアーティスト! 革命者になるべく識者・蒲生会長に熱い相談を持ちかけます。
美容業界の枠を無視した
突拍子もないヘアアートを推し進め、
後世に残るアーティストに
Ushi
蒲生 Ushiさんは北海道の奥尻島の出身なんですね。
Ushi はい。北海道の南西部にある島で昔、大きな地震があったところです。
蒲生 ガモウが主催したヘアショーで初めてのオンエア、初めてのオールスタンディングでした。演出家も入れて、舞台装置も専門家にお願いして。業界でも初めてだったんじゃないかな。
Ushi すごい人と熱気でしたよね。
蒲生 島の美容室事情はどうですか?
Ushi 減ってきています。本格的にデザインを売るようなサロンはないですね。若い子はみんな函館まで髪を切りに行きます。

蒲生 島から函館まではどれくらいですか?
Ushi 飛行機で30分、船だと3時間かかります。
蒲生 サロンに行くのも大変ですね。
Ushi 島ではストレートもパーマもできないので、遠くても通う若者は多いです。人口が3000人ちょっとなので商売が難しく、新規開業する人がいません。2か月に一度くらい出張してやるのもいいなと思っています。
蒲生 いいアイディアですね。Ushiさんが美容師を目指したきっかけは?
Ushi 中学生の頃に友だちの髪を切ったりしていました。野球をやっていてピッチャーで肘を壊して、高校は陸上のスポーツ推薦で札幌近郊の学校へ進学しました。その後1年ほどでヘルニアになってしまい陸上も諦めなければならなくなりました。そのときに髪を切るのが好きだったことを思い出し、ファッションにも興味があったので美容師を目指すことにしたんです。僕は天パなので、サラリーマンになると好きな髪型にできないし、自由なヘアスタイルのほうがモテそうだなというのもありました(笑)。
蒲生 そして高校入学のときに島を出られたんですね。
Ushi はい。寮に入りました。体育会系なので、朝から1時間ランニングをしたり、死ぬほどきつかったです。ケガをしたあとは下宿や一人暮らしをして高校に通っていました。

蒲生 就職は道内ではなく東京に行きたいと?
Ushi はい。どうせやるなら日本で1番の技術を見たいと思っていたので、東京へ行くことは必然でした。親は大学に行ってほしくて美容師として東京へ行くことには反対していました。でも、当時はカリスマ美容師ブームでニュースになっていたこともあり、AC´QUAなら受けてもいいと言われました。どうせ受からないと思ったからです(笑)。
蒲生 当時は倍率がすごかったんじゃないですか?
Ushi 相当な倍率だったと聞きました。そんな中、運よく受かりました。当時はACQUAに入りたいという人が沢山いて、店の前には見学者が大勢いました。
蒲生 入社していかがでしたか?
Ushi 東京の美容室のアシスタントは厳しいと聞いていたので予想通りだなという感じです。覚悟をして入ったので最初のうちはこなせるんですが、じわじわと厳しさが身に堪え、どうやっても歯が立たない状況に追い込まれていきました。そして精神的に限界を迎え、2年目のときに店から逃げました。真剣にやりすぎていたんだと思います。
蒲生 営業中だったんですか?
Ushi はい。トイレにこもり、泣いていました。忙しい中スタッフが声を掛けてくれても戻る決心もできず、隙を見て走って逃げました。家に帰って疲れすぎて眠り、夜目が覚めたときに我に返り、サロンに戻って先輩スタイリストに謝りました。何も言わず、怒りもせず、もう一度一緒にやろうという雰囲気を出してくれたので、次の日から復帰することができました。今思えば楽しかったんですけど、当時は楽しくなかったですね。
蒲生 その後世界一周の旅に?
Ushi 3年目でスタイリストになり、2年間スタイリストをやったあとに退社、出店を決めてから半年限定で旅立ちました。アメリカから入ってアルゼンチンやイースター島へ行き、スペインへ飛んで中東へ。ヨーロッパへは寄らずモロッコやエジプト、イスラエルやシリアなどなかなか行けない国を回ってアジア経由で帰国しました。ざっと15カ国くらいですね。宿で会った人や仲良くなった人の髪を切りながら旅行していたので、言葉が通じなくても歩み寄ることができました。
蒲生 貴重な経験ですね。サロンはなぜ千歳烏山(世田谷区)に?
Ushi おしゃれな場所に出店するのは気持ちが乗らなくて、あえておしゃれじゃない街でデザインを発信することで街がどう変化していくか試したいと思いました(笑)。
蒲生 チャレンジングな発想ですね。Ushiさんはアート活動もされていますが、美容師のクリエイションの枠を超えたスタイルを目指そうと思われたきっかけを教えてください。
Ushi 最初はフォトコンの受賞を目指してやっていましたが、どうせやるなら日本一を目指したいと思ったのがきっかけです。日本一の定義はいろいろあると思うんですが、美容業界の人しか見ていない中での日本一ではもったいないので、外へ向けて発信できるアートを推し進めることに。それからは美容のクリエイションという枠をまったく無視して、ヘアのアートという捉え方でやっています。
蒲生 その流れで本の出版もされたんですね。手の込んだ装丁で、驚きました。
Ushi ヘアアートを推し進めたいという気持ちが僕の中にはあるんですが、一般的にはまだまだ興味を持たれていないジャンルなので、表紙にヘアの写真を載せても手に取る人は少ないだろうと思いました。表紙が面白いからページをめくってみようと思わせる設計が必要だと考え、突拍子もないことをしようと思って鏡にしました。
蒲生 なるほど。動機づけのためだったのですね。ファッションの世界では洋服が主役でヘアスタイルというのはそれを邪魔しないように存在している。そういう世界だからヘア自体がアートになりづらい。そこが戦いですね。今後の目標はありますか。
Ushi 美容師のクリエイションを世に広げるというのが僕の役割。アーティストとして、後世に残る作品をつくることに情熱を注ぎたいです。サロンワークはまったく別で、社員を豊かにするのが目的。時代に適応しながら柔軟に変化するサロンでありたいです。事業の構造を変え、美容師が稼ぎやすい環境をつくることが目標です。
蒲生 100年後、200年後にも残るアートですね。
Ushi 非常に難しいですが、そこにチャレンジしたいです! 蒲生会長は歴史にお詳しいですが、革命を起こしたり時代に変化をもたらした歴史上の人物や学ぶべき人物、またはその人たちの共通点があれば教えていただきたいです。
蒲生 時代というのは安定していくうちにマンネリ化して行き詰まる。日本が大きく動くのは常に外圧があったとき。古くは飛鳥時代に大陸から仏教が伝わってくるとか、世界情勢を受けて明治維新が起こったり。いろいろあった中で日本最大の革命者は誰かと考えてみると、織田信長なのかなと思います。好奇心と探究心から海外から伝わったものをいろいろと取り入れたけれど、あまりにも突拍子のない人だったから理解されないまま最後には殺されてしまう。それほど凄まじい人だったということ。信長という存在がなかったら秀吉もいないし家康も出てきてはいない。
Ushi すべては信長からはじまったんですね。
蒲生 美容の歴史でいうと、マリールイズを研究してみると面白いと思います。彼女は明治時代に髪型が江戸前からモダンに移る時期、洋髪というものが日本人にまったく浸透していない中、日本の洋髪の基本をつくった。直毛で硬い日本人の髪とヨーロッパの柔らかいウェーブを融合して日本独自の洋髪をつくり上げた。そこには創作的なものがありますよね。
Ushi 美容の革命者ですね。
蒲生 ヘアを文化にするのが美容師で、さらにもう一歩進むとアートになる。そこにはいろいろな可能性と表現方法があって幅が広い。
Ushi 後世に残るアートを追い求めます!
日本最大の革命者は、織田信長
突拍子のない凄まじい人ゆえ
最後には理解されず殺されてしまった
蒲生茂


鏡を表紙にした『ニュー丁髷』

Ushi(うし)
美容師アーティスト/MaNO代表。1983年生まれ。北海道奥尻島出身。北海道理容美容専門学校卒業。都内1サロンを経て世界一周の旅へ。帰国後、2011年にサロンオープン。東京・千歳烏山を中心に3店舗を展開。2023年に作品集『ニュー丁髷』を出版するなど美容師の枠を飛び越え、活躍の場を広げている。
Photo / SUMESHI
取材・掲載協力



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