SNIP STYLE 2025年8月号掲載 取材・掲載協力 株式会社コワパリジャポン
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未来ある美容業界、その先へ!
PANICの神谷 司さんから親子二世代にわたって縁が続く神谷 翼さんと蒲生会長の対談は、美容業界の話から人に教えるということ、そして健康についてなど話は尽きず……。40代をどう生きるべきか、その先どうあるべきか、蒲生会長から学ぶことがたくさんあった実りの多い時間となりました。
サロンワークやインテリアも。
誰かに見てもらうもの、感じてもらうものは
すべてクリエイティブ
神谷翼
蒲生 神谷さんのご実家は岡山県の美容室ですよね。
神谷 はい、そうです。
蒲生 ご自身が美容師を目指したきっかけを教えてください。
神谷 僕が小学生の頃、父(PANIC 神谷 司さん)は色々なコンテストで賞を獲っている美容師で、現役バリバリの時期でした。母も同業で、親が家にいないことが普通。僕は祖母に育てられたようなものでした。両親の帰りは毎日夜遅いし、僕がやっていた野球の試合も見に来ないし、あの頃は美容師だけにはならないと心に決めていました(笑)。でも、高校1年生の時に友達と一緒に父のヘアショーを初めて見に行ったんです。そこで、友達も「かっこいい!」って言ってくれて。親世代が高校生の僕たちにそう思わせるってすごいなと思って、それが美容師になりたいと思ったきっかけです。なので今でもヘアショーに対しての想いはすごく強くて、ステージに立つために一生懸命やってきた部分も大きいと思います。
蒲生 素敵な話ですね。東京に出て来られたのは?
神谷 専門学校に入学する時です。父の母校である日美(日本美容専門学校)に入学し、そこで出会った仲間が、今PANICで社長をしている鎌田広大です。僕は岡山から、鎌田は埼玉から東京に出てきて、僕はPEEK-A-BOO、鎌田はPANICに就職したという不思議な話です。息子が入れ替わったような(笑)。
蒲生 数奇な運命ですね。
神谷 父は僕のこと以上に鎌田のことを息子だと思っているかもしれませんね。僕は親の七光だと思われたくないという想いが強く、跡継ぎを選択しませんでした。今は神戸と銀座で自分の店をやって、形ができてきて、七光とも言われないような年齢になったので、いつか鎌田と一緒に何かできたらと思っています。戦友なので軽々しく会えない仲ですが、ガモウさんのテーマカットの審査員同士として会える時がとても嬉しいですね。

蒲生 僕としても嬉しいですよ。
神谷 ありがとうございます。僕自身、美容業界のつながりの中で育てていただいた部分も大きく、日美でも神谷さんの息子さんねと言われて可愛がってもらいましたし、業界の歴史を若い頃から知ることができました。
蒲生 ありがたいことですよね。
神谷 はい。感謝の気持ちは若い頃からあって、今は目まぐるしく変わる時代ですが、お世話になったPEEK-A-BOOや蒲生会長をはじめ美容業界の先輩方に対してのリスペクトは強く持っていますし、自分たちもそう思ってもらえるためにはどう動くべきなのかを考えるフェーズに入ったかなと思っています。
蒲生 時代の中心は神谷さん世代だけど、PEEK-A-BOOの川島文夫さんやSHIMAの嶋 ヨシノリさんはレジェンドで、70歳過ぎてもみんな現役で仕事をし、サロンも絶好調ですよね。彼らの姿を見るたびに、“今がピークではない”と自分に言い聞かせて新たな道を模索しています。我々は新たな美容師が世に出てくるお手伝いをし、そのための場づくりをすることが使命です。JHAを続けてきたのも、日本全国どこにいてもクリエイティブができるように、という想いからです。
神谷 全国の美容師からしたらとてもありがたいチャンスです。
蒲生 ASIA BEAUTY EXPOもそうですが、イベントのない業界に活性化は望めません。日本は伝統的なものや近年のものも含めて、お祭りの多い国だし、僕も美容業界を楽しいものにしようじゃないかと、いろんなことをやってきました。
神谷 実際、イベントのおかげで僕も美容師を目指しましたし。

蒲生 そういうきっかけをつくることが僕たちの役割。ところで、スタッフ教育はどのようにされているんですか?
神谷 教える人が僕だけになってしまうといい流れはできないという考えから、オープン当初から僕がスタッフに教え、そのスタッフがみんなに教えるという形にしています。“教える人を育てる”ことに注力してきました。後輩のことをどれだけ自分のことのように思って教育できるかが大事だと考えていて、それが組織としての強みになると信じてやっています。
蒲生 そういった意味ではサスーンカットは教育に大いに役立ちますよね。ヴィダル・サスーンがすごいのは、カットのガイドラインをつくって、展開図をつくって、そのように切れば形になると示したこと。
神谷 教育の中でベースを統一することはとても大切で、サスーンは世界でいちばん伝えることに適したカット技法なのかもしれません。
蒲生 SCREENの体制をつくり上げることで神谷さんご自身のクリエイティブな活動も広げることができますよね。
神谷 ありがたいことに上海やマレーシアでコンテストの審査員やヘアショーをやらせていただき、海外の方たちの反響の大きさから今後の可能性を感じているところです。あと、サロンインテリアも自分でデザインしていて、サロンワークを含め誰かに見てもらうもの、誰かに感じてもらうものはすべてクリエイティブだと思ってやっているので、そこに対してのこだわりは強く保っていきたいなと思います。
蒲生 そういった視点が繁盛サロンをつくり上げているんでしょうね。
神谷 会長がおっしゃるように今がピークではなくサロン設立10年を迎えた今が本当のスタートだと捉えています。僕は今41歳なんですが、会長が40代の頃のお話を伺いたいです。
蒲生 論語に「四十にして惑わず」という言葉がありますが、40代になると若いからものを知らなくて、という言い訳は通用しなくなります。40歳になった時、本当の意味で自立をしなきゃいけないと覚悟を決めました。36歳の時にガモウを株式会社にして、そこから60代はガムシャラにやってきました。
神谷 40歳は新たなスタートと思えることが長く続けられる秘訣なんですね。
蒲生 鎌倉にみんなが苦しい時に拝むお地蔵様があって、そのお地蔵様は「どこも苦地蔵」と呼ばれているんです。つまり、お前も苦しんでいるけれどみんなも同じように苦しんでいるんだよということ。自分も色々とあるけど、人も同じような経験があると思えばラクになるという話です。
神谷 考え方ひとつですね。長く続けていく上で健康であることも欠かせないと思いますが、会長は若い頃から気を遣っていたんでしょうか。
蒲生 それはまったく(笑)。60代になって毎月病院で検査をするようになりましたが、それまではあるがままに生きてきました。野菜も嫌いだしね(笑)。
神谷 僕も野菜嫌いで不摂生なので励みになります(笑)。
蒲生 神谷さんは美容師を何歳まで続けようと考えていますか?
神谷 何歳まで美容師を続けるとかいうよりは、どの形がこれからのSCREENにとって最善なのか、それを選ぶというふうに考えています。ヘアショーもそうですが、自分が舞台に立ちたいというよりも、SCREENの中で自分をどう使おうか、という考え方です。僕がいたほうがいいのか、いないほうがいいのか、客観視している感じです。最後に、人を育てていく上での極意があればぜひ教えてください。
蒲生 人を育てることはできません。みんなそれぞれが考えて育っていくから、それに対してアドバイスを送ったり、育つことを邪魔しないというのが先輩の役割。自分の成功体験を振りかざしても意味はありません。先輩後輩関係なく今日から先のことはみんなにとって新たな経験だからね。それを大事にすることだと思います。
神谷 新たな経験を求めて成長し続けることですね。ありがとうございます!
日本はお祭りの多い国
美容業界を楽しいものにしようと、
いろんな“場”をつくってきた
蒲生茂


神谷 翼(かみたにつばさ)
SCREEN代表取締役。1984年生まれ。岡山県出身。日本美容専門学校卒業。PEEK-A-BOOを経て、2014年神戸にSCREENをオープン。2015年にSISTER.BY SCREEN、2020年東京・銀座にSCREEN GINZA MAISON.をオープン。2018年にJHA大賞部門グランプリ、2019年にJHA大賞部門準グランプリを受賞。サロンワークを中心に国内外のヘアーショー、撮影、店舗デザインなどマルチな才能を発揮し続けている。
Photo / 宮里拓郎
取材・掲載協力



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