今回は、2026年3⽉にkakimoto arms代表取締役社⻑に就任した村松 亜⼦⽒と、2021年4⽉にPEEK-A-BOO代表取締役社⻑に就任した川島 修⾝⽒が対談。互いに創業者から引き継ぎ、⻑い歴史を持つサロンをどう舵取りしていくべきか、熱いトークを交わしていただきました。
kakimoto arms×PEEK-A-BOO
⽼舗サロンの次なる⼀⼿に要注⽬!
時流適応とフィロソフィーの浸透が、揺るぎないブランド 構築の核⼼
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kakimoto armsにカラーリストが誕⽣するまで
村松 今日はありがとうございます。実は、「PEEK-A-BOO」さんを個人的に勝手に同志と思っていて(笑)。10年サイクルで変わると言われるトレンドのなか、サロンも同等に変わっていくのを見ていて、このポジションでお互い50年ぐらい居続けることは、並大抵のことではないと思うのです。ですので、今回の対談はとても楽しみにしていました。
川島 こちらも、とても楽しみにしていました。いろいろなイベントで顔を合わせたり、挨拶はもちろんしているのですが、二人で話すのは初めてですよね。経営者同士として、普段聞けない話をできたらと思っています。
村松 1990年代に⼊った頃、創業者である柿本は「このまま続けていくには限界がある、何かないだろうか?」と模索していたときに、ガモウさんやメーカーさんのご縁でイギリスの著名なカラーリスト、ダニエル・ギャルビン⽒と出会いました。ヘアカラーとはこんなにもデザイン表現の幅を広げ、世界を明るくすることができると感じた柿本はカラーリストの導⼊を決意。ダニエル⽒のお弟⼦さんだったパトリック⽒が2年間、⽇本に住みながら教育に尽⼒してくれたおかげで現在のカラーリストが⽣まれました。とはいえ最初は誰も⼿を挙げず⋯⋯。柿本が岩上(岩上 晴美⽒)や⾼原(⾼原 紀⼦⽒)を直接、⼝説く、というより半ば強制的に任命。当時は「頑張ってデビューしたのに、なんでアシスタントの仕事をしなければいけないの!」と⾔って泣かれたと聞いています。
川島 今、カラーリストは何⼈くらい在籍しているのですか?
村松 約80名です。アシスタントを除けば全体の約半数近くがカラーリストです。将来的には100名を⽬指しています。
村松 我々は髪が健康で、継続できるカラーを⼤事にしています。ですので全頭ブリーチは推奨してこなかったのですが、薬剤の進化もあり、今後は柔軟に幅を広げていく⽅向性に変わりつつあります。川島 僕はロンドンでパトリック⽒にお世話になりましたが、彼のブリーチによるハイライトのリタッチ技術を⾒たときは衝撃でした。インバウンド客も増えている今、改めて⾼いカラー技術が必要になってきたことを感じます。

村松 亜⼦氏
⾼校⽣の頃にkakimoto arms⽥園調布店に通い、14年間の海外⽣活で⾝についた語学⼒を買われて海外視察に同⾏した経験を持つ。1999年、⻘⼭進出のタイミングでkakimoto arms⼊社。PRやブランディングを⻑年担当し、2015年、取締役に就任。2026年3⽉より現職。
kakimoto armsの軌跡
沿革
柿本 榮三氏が1976年 東京・自由が丘に「柿本榮三の美容室」をオープン。1991年 「柿本榮三の美容室」を、個から集合体への 「kakimoto arms」と改名。東京を中心に展開するラグジュアリートータルビューティーサロン。カット、カラー、ネイル、ヘッドスパ、アイブローなど、各分野の専属スペシャリストが施術を行うのが大きな特徴。また、男性専門の「メンズグルーミングサロン」も複数のエリアで併設。現在は麻布台ヒルズをはじめ、10店舗を展開し、スタッフは約250人。
年代別 従業員数の遷移

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PEEK-A-BOO がサスーンカットの礎を築くまで
川島 創業者である川島がロンドンから持ち帰ったサスーンカットを⽇本⼈にアジャストさせるべく、⾻格や髪質の違いを踏まえて独⾃の理論を⽣み出し、それを体系化したことで現在のカットの礎が築かれました。そこから時代性も取り入れながら、長い年月をかけて進化していってるのが今のPEEK-A-BOOの技術です。そのおかげで僕もロンドンで美容師をしていた頃に感じたことは、アジア人だろうと欧米人だろうとカットをする上において基本的なところは変わらず、カドを取るか取らないか、パネルを移行するかしないか等、使う技術の選択に違いがあるだけなので、かなりスムーズにお客様に入ることができました。
村松 ちなみにカットは教育全体の中でどれくらいの割合を占めているのですか?
川島 最初の1年はカラーやパーマなどを習得し、2年⽬になる直前頃からカットレッスンが始まります。カリキュラムを全部、最速で終わらせたとしても4年近くかかります。ですので、カットが占める割合は⼤きいと思います。

川島 修⾝氏
PEEK-A-BOO代表取締役社⻑。
⾼⼭美容専⾨学校卒業後、2000年にPEEK-A-BOO⼊社。2005年から3年間ロンドンへ美容留学。2021 年4 ⽉より現職となり、⼟⽇はサロンワーク、⽔・⽊・⾦はオフィスワークをこなす。川島 ⽂夫⽒の甥(⽂夫⽒の兄・節夫⽒の⻑男)にあたる。
PEEK-A-BOOの軌跡
沿革
川島 文夫氏が美容専門学校卒業後に渡英し、「ヴィダル・サスーン」ロンドン本店にてアジア人初のアーティスティック・ディレクターとして活動。ロンドンから帰国後、日本全国でセミナー活動を行い、1977年に東京・表参道で「PEEK-A-BOO 川島文夫美容室」をオープン。圧倒的なカット技術で全国から支持を集めている。 現在はPEEK-A-BOO ONEをはじめ、銀座や池袋など8店舗を展開し、2019年頃に正社員雇用のスタッフ人数が300人になり、2026年現在は店舗のリニューアルを機に集約をし、約280人。
年代別 従業員数の遷移

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kakimoto armsのホスピタリティと
PEEK-A-BOO のアカデミー
村松 当社は⾃由が丘や⽥園調布がスタートのエリアでしたから、上品で素敵なお客様にずっと⽀えられてきているというのが根底にあります。2003年に六本⽊ヒルズ店がオープンしましたが、商業施設の⽅がサロンを探している中、当社の技術とホスピタリティに感動してくださり、出店が叶いました。そこを誇りに感じてきましたし、次第に単価も⾼くいただくようになっていったんです。その流れで銀座や⿇布台ヒルズの出店へとたどり着きました。技術はもちろんですが、質が⾼いということが私たちの武器であり宝であることは、社内でよく⾔葉にしています。
川島 素晴らしいですね。当社は他サロン様からの講習依頼が増えたことを機に1988年「PEEK-A-BOO ACADEMY」を開校したのですが、川島がよく⾔うのは「教えることは学ぶこと」。これは、⼈に教えるには⾃分がその何倍もよく理解していなければ⼈には教えられないという信念を表しています。それが当社の成⻑にも寄与してきました。スタイリストになると勉強しなくなるという話をよく聞きますが、スタイリストになるのがゴールではなく、そこからお客様の⼈⽣に伴⾛していくことが⼤事ですよね。⼈に教えるために必死に練習することが成⻑につながります。アカデミー事業は当社の⼤切な教育の1つであり、スタッフの成⻑意欲を掻き⽴てる場所だと考えています。
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スタッフ教育
川島 当社は⼈への教育が⾃分の糧になっており、好循環が⽣まれています。誰しも⾃分のためだけにはなかなか勉強できないものです。
村松 教育とは「共育」であり、教える側の成⻑もありますよね。でも、教育って難しくなり始めていませんか?
川島 そうですね。たとえば以前はサロンワーク以外の時間で練習するのが普通でしたが、今はコンプライアンスが重要な時代。時流をよく⾒てジャッジすることが求められます。本来は⾃分の成⻑につながることは⾃分の時間を使って学ぶべきだとは思いますが⋯⋯。
村松 これはずっと悩み続けなければいけない課題ですよね。社⻑に就任して以来、営業時間を改定したり、教育の時間も⾒直したりしましたが、どんな仕事でも時間内だけで成⻑し続けるのは難しいと思うんです。たくさん練習した⼈とそうでない⼈、どちらがお客様にとって幸せなんだろうか、とよく考えます。

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ブランド維持
村松 創業者というのはとても強く、唯⼀無⼆の存在。いつでもブレない夢を語ります。私はそれはできないし、同じようにしなくてもいいと思っていて。創業者が強すぎるとみんなが創業者を⾒てしまい、⾃由な意思が抑え込まれ、トップダウンを待つ体制が常態化する恐れがあります。本来、⾒るべきはお客様ですよね。私を含め現場のトップたちが夢を語り、みんなでチームを⽀え、伴⾛する後輩の成⻑をサポートする環境づくりが⼤事です。幹部には現在全10回のリーダーシップアカデミーを開催し、次世代育成を得意とするマネージメントを身につけることを目指しています。
川島 創業者は強いですからね(笑)。当社は伊東(伊東 秀彦⽒)、⽥中(⽥中 義弘⽒)、もう1⼈の⽥中(⽥中 幸広⽒)など60代、50代の創業時または創成期メンバーから40代、30代後半の世代がバランスよく在籍しており、中間世代が若手への翻訳機能を果たしてくれます。この「伝⾔ゲーム」をしてくれる層をどれだけつくれるかがブランド維持の鍵を握ります。今は、受け取る側=若い世代のマインドセットをどうすべきか、それが課題です。
村松 層が厚いって、とてもいいことですよね。うちも⼩林(⼩林 知弘⽒)と岩上がいてくれるので⼼強いです。
川島 たしかに。でも村松さんのように、創業家系ではない⼈が組織の良さを熱く語るのは、とても素晴らしいことだと思います。
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創業者の言葉
川島 先述の「教えることは学ぶこと」もそうですが、川島はよく「⼀⽣⻘春、⼀⽣勉強」と⾔っていて、70代になっても⻘春を謳歌しています。常に好奇⼼を持ち、新しいことに挑戦しているんです。ブランドをつくった⼈はオリジナルを壊すことに対して抵抗がないのですが、逆に周りがそれを⼤事に思い過ぎてしまうことがあります。たとえば川島の代名詞である「ボックスボブ」を僕たちは正確に切ろうとしますが、川島は「『ボックスボブ』は重いよ、今はこれじゃないよ!」と。それはオリジナルだからこそ⾔えるんですよね。川島の好奇⼼を失わない姿勢、ずっと学び続ける姿勢は、僕らにとって⼤切な指針です。
村松 いいお話ですね。柿本はいつも「頂点をみんなで⽬指そう」と⾔っています。頂点への道はたくさんあり、険しい道もあれば時間をかけて⽬指す道もある、どの道から頂点を⽬指すのかはみんな次第です。日本一高い山が富士山であることはほとんどの人が知っていますが、2番目、3番目に高い山は答えられない人が大多数ですよね。だからこそ1番にならなければいけないし、登りきらないと⾒えない景⾊があるんだと思います。

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スタッフの働き⽅改⾰とリクルート
村松 これは私がもっとも⼒を注いでいることの1つです。1⼈たりとも⽋けてほしくないという考えが強くあり、ミーティングを重ね、⾯談もこまめに⾏い、何かあれば課題解決に奔⾛して数ミリ単位で調整している毎⽇です。上から下への⽮印だけではなく、横⽅向の⽮印を増やして、1⼈ひとりのスタッフと丁寧に向き合うことを⼤切にしています。
川島 ⼊社したての、まだ学⽣と社会⼈の境⽬にいるようなスタッフに、いきなり難しいことを⾔っても響きません。中間層のスタッフや2年目のスタッフなどそれぞれのフェーズに合わせたスタッフ研修が必要です。トップにはリーダーシップ講習やコンプライアンス講習を⾏い、働き⽅に対する考え⽅そのものをアップデートすることが⼤事です。それによってギャップを少しでも埋めたいと思っています。ちなみにカキモトさんはリクルートはどうされているのですか?
村松 現体制になってから⾃⼰紹介を兼ねて全国の美容学校を回っています。先⽣⽅の熱い想いを受け⽌め、先⽣⽅が⼿塩にかけて育てた学生の⼈⽣を背負い、受け⼊れる会社になることができているだろうか? と⾃問⾃答する⽇々です。
川島 当社はマネージャーやスタッフが全国の美容学校を回っています。SNSでうまく興味喚起を広げていければいいのですが、それがうまくハマる時とそうでない時があるので、それもやりつつ地道に地上戦を行って、当社を好きになってくれる⼈を増やしていこうと考えています。
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今後の展望、⾃分の使命
川島 いい意味で「現状維持」にまい進することが⽬標です。現状をもっと良くして発展させようとしない限り、現状維持すらできないと思うんです。財政基盤の強化はもちろん、教育の徹底や働き⽅改⾰も引き続きやっていく所存です。PEEK-A-BOOのことが⼤好きなので、このブランドをこの先も続けていけるよう、努⼒したいと思っています。
村松 私はkakimoto armsを圧倒的なハイブランドにし、世界の中で最もラグジュアリーなサロンブランドにしていくのが夢です。そのためには技術もホスピタリティも、スタッフの⼈間⼒もすべて質を上げ、チームとして強くなりたいです。創業家系ではなく、技術者でもない私はプロデューサー的な役割が強いのですが、時代を読む⼒と、⼈と⼈とをつなげていく⼒が私の持ち味。時代の光をスタッフみんなに当てて、個が輝くサロンでありたいです。その熱量はお客様にも伝わります。さらにその先に、⽇本を美容を通して元気にできるのではないかと願っています。

創業当初のサロン
kakimoto arms

「⾃由が丘で創業し、物⼼共に豊かなお客様に⽀えられてきましたが、当初は柿本がスター美容師として孤軍奮闘する毎⽇で、いろいろな苦労や不安があったと聞いています」(村松⽒)
PEEK-A-BOO

「オープン当初はお客様がゼロの⽇もあり、集客で苦労したこともあったようです。お店が地下だったので気づきづらかったこと、表参道がまだ発展途上の街だったことも影響したかもしれません」(川島⽒)

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